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著者歴然 僕について語る時に僕が語ること(18) [『優等生』あれこれ]




 例えば私が初めて煙草を吸ったのは中2のときでした。習慣になったのは(つまり毎日吸うようになったのは)高校生くらいからだと思います。最初に煙草を吸った時はひとりでした。あとで考えると、これは少数派なのではないかと思いました。
 ふつうこういうものは、ギャング・エイジの連中が寄り集まって、よおし悪いことをするぞと盛り上がったそこで初体験、と、そうなるものではないかと思います。または先輩などに無理矢理すすめられ、困惑しながら、でも実は吸ってみたいという、そういうものが発端になるのではないかと思います。でも私はひとりでした。きっかけは雑誌で見かけたロックンローラーの写真で、タバコを吸う姿がとてもかっこよく見えたという、そういうものでしたが、その手のきっかけさえあればいつでも吸ってみたいと思っていたのは当然です。でも私はそこで、誰も誘わず、なぜかひとりでタバコを吸うことにしました。
 万引きもそうでした。やはりこういうものも、よおし悪いことやるぞで、みんなとやるものだと思うのですが、私はひとりでそれを行いました。

 タバコも万引きも、もう中学生ならそれくらいはしてないと格好がつかない、という気持ちはありました。みんなが体験する前にもうそれをしている、または、みんなが仲間内でやっていることをひとりでやっている、そういった優越感や特別視を得たいというのもありました。だとしても、どちらもひとりで行うには、勇気がいるのです。
 誰かに声をかけて、一緒に行うほうが安心でき、よほどスムーズに体験できます。でも私はそうしませんでした。そういう場面で声をかけられるような相手がいなかった、というのが、実際だった気もします。

 もちろん私にも、なんらか初めて行うことを、誰かに声をかけて一緒に(初)体験することはありました。いくらでもあったはずです。具体的には思い出せませんが、きっと思い出せないのは、本当はそんなこと無かったからではなく、ごくありふれた出来事だったから覚えていないだけだと思います。
 だとしても、私にはどこかで、ひととの一体感というものとズレているところがたぶんありました。いえ、確実にあります。

 私はある時期まで、「自意識」というものが何なのか分かりませんでした。けっこうな歳、たぶん30歳を過ぎるくらいまで、「自意識過剰」というのが具体的にどういう状態を差すものか分かりませんでした。つまり文学書、哲学書、精神医学書、人間に関する洞察によった文章や戯曲で「自意識」「自意識過剰」という言葉が出てきても、内容をイメージできないまま、一種の専門用語のようなものとしてその言葉を把握していました。ただ、ある時に意味が分かりました。要するに自意識過剰とは自分の常の状態だと。
 どうも私は、常に自意識を持っているようでした。常に自分のことを意識している状態を自意識過剰と呼ぶようですが、要するに私とはそれでした。自分にとってあまりに自然な状態だったゆえ、私には「自意識(を持つこと)」「自意識過剰」という言葉がずっと理解できなかったのです。





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