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「コバルト」休刊によせて [非営業]




 今日は営業はやめて、ちと喪に服します。ま、湿っぽくはしませんが。(ご本人が望むわけないし)。


「これはミュージカルになるなあ」と、よく、氷室さんの小説を読みながら思ったもんでした。
 たぶんそれって宝塚大好き氷室さんの資質が、やっぱ作品に出てたんだろうと今では思いますけど、だから「ミュージカルになる」じゃなくて「文芸でミュージカルをやっていた」が正確なのかも知れない。

『ジャパネスク』はいわずもがなとして、おれがこれいちばん感じたのは『ざ・ちぇんじ』で、それこそまんま「宝塚でミュージカルにして!」がいちばんの感想だったという。

(けどこれ実際にやったら、ほんっと面白いと思いますよ。中身もまんまミュージカルになるけどさ、だって、
 綺羅はとうぜんトップの男役だけど、これがオンナの真似をする。綺羅姫もとうぜんトップの娘さんだけど、このコがオトコな演技する。もうこんだけで笑えるじゃん。
 けどそういう入れ替わり、騙し合い、ゆえの行き違いのおかしさって、ほんっとに正統的な(とくにはMGM系の)ミュージカル、人情ドラマ、いえばシットコムのカタチじゃん? 日本でこれ得意なのはとうぜん三谷幸喜。
 三谷脚本/脚色で宝塚、これ見たいよなー。三谷さん、まだミュージカルには手つけてないし。もちろん『蒲田』をやったくらいなんだから、つかさんだってありだったと思う。暗転を嫌って歌や踊りを入れてたつかさん。この人の喪中にもなっちゃうけど、やっぱつかさんには一度でいいから、純粋娯楽をやってみてほしかった)。

 元気な女のコが暴れまわるお話、これをやらせたら氷室さんはほんっとにうまかった。

 とんだりはねたりの彼女達は、ほんとに踊ってるようだったし、歌ってるようだった。謳歌してる、という言葉がぴったりだった。
 そして舶来のミュージカルたちは、いつもそんな女の子の味方だった。

 モンゴメリが始めて、J・ガーランドたちが肉体をあたえたものを、日本に定着させたひとりは、まぎれもなく氷室冴子だったなあとしみじみ。
 いやいや、日本にだって肉体をあたえた人はいた。ひばり・チエミ・いづみのミュージカル時代劇(これもすごいジャンルだけど)はみんなそうだし、鈴木祥子の慧眼を引き合いに出すまでもなく、なかでもチエミさんの肉体は抜群にすごい。
 そういう、ほんとうに健康で本質的な文化を、やっぱ氷室さんは吸収して、愛でていたんだと思います。

 いや、そういうことじゃないか。

 てかさ、この人、エッセイとか読んでても、本人いきなり暴れてんだよね。
『冴子の東京物語』、これに爆笑しない人類はいないと思う。まそりゃ文筆家ゆえの脚色も今思えばありありなんだけど、けどさー、火のないところに煙はたたないよね。

 そんな氷室さんの作品群のなかで、けどでもどうしても忘れられないのは『いもうと物語』。
 これももうコバルトからは離れた作品になるけど、そすね、高橋源一郎の言葉を真似るなら、「中島みゆきが『声』を変えるとき。その中島みゆき」みたいな感じ。
 楽曲とは裏腹に、はしゃいでばっかのオールナイトニッポンで、でもときどき、ほんの数十秒、ときには数秒だけ、みゆきさんは「声」を変えるときがあったのね。ちょっとだけ本気、ここだけは本音、そういう声をみゆきさんが出す。

 とんだりはねたりの冴子さんが、ふっと声を変えて話した『いもうと物語』は、みゆきさんのそれみたいに、ずっと印象に残る佳作だと思います。
 てこれは形容矛盾だな。ずっと印象に残るなら→名作だってことだった。


 冴子さんが押し通してくれたものを、おれたちは授かり、併走したナウシカがありセーラームーンを生み、今、冴子さんの妹/弟たちは当たり前に正義の女のコを書いている、ていうこれ、やっぱすごいことだと思う。
 そしてそれがあってこそ、「じゃあ女のコの女のコ性ってなんなんだ?」という問いが、一部ではきちんと、本格的な質疑になっていることも。

 けして保守的回顧ではない、ここから始めるという場所からの問いとして。野ばら公をはじめ、オトコだって「もうそれは『自分たちの』問題だ」と受けとめている。

 だったらそれって「じゃあ男のコの男のコ性ってなんなんだ?」てことにもなりましょうが。(く、いた、耳)。

 でもそれ、ほんとになんでしょうね。高橋さんが提起したように、「中島みゆきが声を変えるときってなんだろう」的なね。

 なのでこれも挙げておかないと。

 子どもの頃に親しんだ家庭小説へのエッセイ/書評、『マイディア 親愛なる物語』。冴子さんの読みの確かさ、その語りのうまさ、年長者としての責任感、文学者として背負っているもの。背反し、すけてみえる碓井小恵子という少女の姿と気持ちと思考(子どもだって「考える」はする)。


 さぞ寂しいことだと思います、と話すのは、やっぱり冴子さんに、おれのもってる何かを一方的に託してしまうことになるので(でもきっと、それはそれで彼女は鷹揚に受けとめてくれるはずですが)、ただ、また復刊させないといけない雑誌が増えたなー、くらいに、おれは今は思おうと思います。





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