So-net無料ブログ作成
検索選択

公立図書館考 [文化あれこれ]





「ひとから貸し出してもらい」「返すもの」が「知識」だという意識を捨てるためにこそ、(公立の)図書館は廃止すべきです。そもそも。

「知識」とは、「必要なときにいつでも引き出せるもの」であるべきであって、ゆえに最良の置き場所とはまず「本人の脳ミソの片隅」あたりだけれど、現実的には次には「自分ち」なのが当然だからです。

家は借りて住め、本は買って読め(灰谷健次郎)

本(=知識)は常に身近に置いておくべきです。手を伸ばせばいつもそこにあるもの。

かつても今も音楽マニアは、自分ちをレコード屋のようにしてきた。むろん彼らはそのすべてに身銭を切ってきたわけです。「知識」とはそのようにあって然るべきなんです。

文化とは、表現に対して金を払うことである(橋本治)

あるいはかつての演劇マニアや映画マニア――複製技術が大衆層に広まっていない時期の文化マニアは、ノート片手に劇場に行き、作品のすべてを記憶するよう努力してきた。それが「知識を必要とする人間」の姿なんです。

→淀川長治、小林信彦…etc

公的機関が、貧しき大衆/主権者のために「国家建設のための」知識を貸し与える時代はもう終わっている。ずいぶん前に終わった。私たちは豊かになったわけです。公立図書館はもういらない。

ゆえにその豊かさを引き継ぐカズノは言うわけです。「自分の金で本を買って、読みながら思ったことを余白に書き込んで、その本を、自分だけの本にしましょう」と。

余白に何もメモせず、真新しいままの状態で本を保存していく、という意識や感覚とは、「本」は「特別なもの」というものです。特別だから、汚しちゃいけない。
でもそのせいで、その本について何を感じ、思ったかはどんどん忘れて行ってしまう。
本はいつまでも「(著者という)他人の記録」なだけで、「それを読んだ自分の記録」にならない。「他人の知識」のままで「自分の現実のための知識」にならない。

図書館から借りた本にはメモも落書きも出来ません。だから必死で記憶するか、書き写すかを、かつての知識層はしてきた。

コピーはとったけど何をメモするわけでもない、卒論に必要な箇所だけワープロで引用する、そうしてまっさらなままの本を図書館に返す、というのは、「電子書籍にはメモが出来ない」というのと、実は同じです。

「知識」とはすでにそれだけのものになっている。

そうなってしまった原因のひとつとは、つまり「本の余白には何も書いてはいけない」という「本に対する特別視」であり、その象徴であり当時の実体が「図書館という公的機関から貸し出していただくものが本だから」ということに現れており、つまり「みんなと共有するものに自分勝手な書き足しなどしてはいけない」という考え方であり、つまりは「おまえの『自分』など抜かせ」というルールだったんだと。
言い換えれば、なぜ電子書籍のリーダーには「しおり」機能はあっても「メモ」機能はないのかといえば、「本には自分の感想は書き足さない」のが読書のルールだったからでしょ。


貧しさゆえ本を買えない層が生まれている現状、むしろ公立図書館は必要です。だとしても、やはり廃止すべきです。なぜなら、今よりもっと貧しい人間がいた時代、それでも彼らは身銭を切って劇場に足を運んできたからです。

「本/知識の特別視」をやめ、「文化としての本」を定着させるため、それはやはり必要なんだと。
そしてそれをしなければ、出版不況の問題の半分も改善されないわけです。つまりは「本/出版への過保護」から出版人本人たちが抜け出さない限り、将来の安定的経営はムリなんだと。

エンターテイメントへの安易な迎合をやめ、文化としての知識の定着を進めること。そのために必要なのは、「知識的であることの有意義」を体現するほかない。

にもかかわらず、本についてあれこれ述べながら、その知識を自身の現実に応用できていない人間のなんと多いことか。

たぶん彼らの蔵書はどれも、余白が真っ白なままでしょう。弱ったもんですが、本が好きな人間ほど本を読めていない=その知識を血肉に出来ていないというのは、案外ひとつの事実だと思います。

※貧乏で本が買えない人は、「どうすればその本を安く(またはタダで)手に入れることが出来るのか?」を考えましょう。考えても答えが出ないときは、Twitterとかで誰かに聞けばいい。送料だけでその本をくれる人もいるかも知れない。そういう時代なわけですよ。図書館に頼らず工夫しましょうね。





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『坊っちゃん』 抜粋 [資料]






 けちなやつらだ、自分で自分のしたことが言えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠さえあがらなければ、しらをきるつもりでずぶとく構えていやがる。おれだって中学にいた時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯なことはただの一度もなかった。したものはしたで、しないものはしないにきまってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘をついて罰を逃げるくらいなら、はじめからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよくできる。いたずらだけで罰はごめんこうむるなんて下劣な根性がどこの国にはやると思ってるんだ。金は借りるが、返すことはごめんだという連中はみんな、こんなやつらが卒業してやる仕事に相違ない。ぜんたい中学校に何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘をついて、ごまかして、陰でこせこせ生意気なわるいたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと勘違いをしていやがる。話せない雑兵だ。
 おれはこんな腐った了見のやつらと談判するのは胸糞がわるいから、「そんなに言われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別ができないのは気の毒なものだ」と言って六人をおっぱなしてやった。…





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: