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表現てのはこういうもの 補注まだやる 練習の練習 [文化あれこれ]




①毎日書く/描く/つくる
 とにかくいつも創ってる/作ってる/表現してる状況をつくってしまう。プロはみんなそうです。


②無理難題を想定する
クライアント」と呼ばれる人は、たいてい無茶をいいます。「いやおい、そのテーマにそのイメージの組み合わせはぜったいムリ!」としか言えない無理難題を突きつけてくる。要するによくいる「他人」です。「他人」の要求にこたえるのがプロです。
 だから極端な例文をつくると、
「最先端の宇宙理論を小学生にも分かるよう紹介する本をつくりたいんだけど、だからあまり堅くならずにでも威厳あるデザインで、今風のポップなノリも取り入れつつ大真面目っていうのかな、そういう本文デザインにしたいんだよね」──それムリです、そもそも言ってること矛盾してます、けどそういうことを言ってくるのがクライアントです。
 そういうもんだから、もうそういう状況を自分の生活に作ってしまう。
「このテーマにこのイメージはぜったいありえない!」としかいえないものを想像して、それで表現なり創作なりをしてみる。それを習慣づける。

 たぶんこれやると、いったん、ものすごくつまんない生活になります。けれど、これが逆に快感になる瞬間もあります。「あたし/おれM?」とか単純に思うのは単純です。プロの場合は「ともかくそれでギャラが入る」という担保あっての快感でもありますが、それなしでこれやれるようになったら、もうこの道しかないです。
 でもって、アマチュア表現者・創作者さんたちは、もうほとんどこれに近い状況でやってるはずです。
 だから、です。

「みんながいいと思ってくれそうなものを表現する」、なの甘いです。「無謀としか思えない注文に、それでも自己満足を得るにはどうするか?」というそれくらいが、もうあなたにはちょうどいいんです。

 たいして何があるわけでもない、つまんない日常の、ほかのぜんぶを忘れてほんの一瞬だけ自分に酔っていられる時間を持ちたいと思うこと、それは間違いじゃありません。そういう時間も人には必要だからです。ことに今は。
 だから、その時間を「苦痛でしかない時間の中にもつくってみせる」ほうがいいんです。自分向けにすべてを変えてしまおうという意識/スタンスを持つことが。その意識やスタンスを、はっきり自覚し「もうこれしかない」と思うことが。

 表現は「中間」にあればいいんです。相手と自分の。どれだけ無茶なことをいわれようとも、中間点までは自分を出していい。自分の考えと思いでつくっていい。


③受け手の顔を思い浮かべながら書く/描く/つくる
 アマチュア創作者/表現者さんに圧倒的に足りないのはこれです。その表現を受けとる相手の顔をイメージできていない。「一般性」という抽象的なイメージに向かって表現/創作を続けている(だからその表現は「プロの真似っこ」にしかなっていない)。
 客は誰なのか、それをはっきり意識すると表現は変わります。濃やかで繊細で、豊かでリアルになる。「あなたにこれを伝えたい」「あなたなら分かってくれるはず」という意識が働くからです。「この人にはこの言い方で通じる」「こいつならこういうことをしても大丈夫」、そういう「現実的な確かさ」があるからです。
 それがないから、結局は「自分にしか通じない」にしかならないという、逆説的ですが、アマチュアの人の表現/創作とはそうなります。「本人すれば他人向けなのに、でも本人にしか通じないものにしかならない」のは、「具体的な客のイメージが本人にないから、結果的に自分の中だけで熟するものにしかならない」ということなんです。




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