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二章 実技編 6.5 [正しい本の読み方]




 6 初歩の六・五歩:対話的に読む 補2.5

 ごめんねー。昨日の話──もとい、いずれ本にするんだった──前節で述べました内容はちと足りてませんでした。ずーっと「なんか言い切れてない、言い切れてない」と話した内容を思い返し思い返し、ずっと考えてたら、さっきぽこっと答えが出ました。
 つまり、そのように「無限オウム返し」は効力があるんです。(そういう風にえばるな)。

・意味を反対にしてみる

 という「オウム返しの応用の用例」を前節では紹介しましたが、関連してもういっこはいります。これです。

・言い方を逆にしてみる

 主語と述語を逆にしてみる、主部と述部を逆にして能動と受動を入れ替える、あるいは文節と文節を入れ替えてみるのでもいいですが、前節で使った例文でやってみましょう。これをおれは言い忘れてた。

「我思う ゆえに我あり」→「それってつまり、我があるのは我思うから、てことでしょうか」

 こういう逆転です。
 実際これは「意味を逆転してみる」の用例で使った「9条があるから平和だった」→「9条がなければ戦争していたのか?」てのとほとんど同じなんですが、微妙に違うのできちんと話すべきでした。話せてないのが前節だったということです。ごめんなさい。

 *

 少々文脈から外れますが、そもそも「我思う ゆえに我あり」とはどういう意味なのか、というところから始めましょうか。というのは、デカルトのこの有名な言葉に、戸惑う人は(日本人は)多いはずだからです。
「我思う」、これが(日本人には)分かりません。
 これって、「我、というものを(自分で)思うことによって、「我=自分」は存在している」ということなのでしょうか、それとも、「思う、ということをする自分がここにいるのだから、少なくともその点で『我』はある」ということなのでしょうか。
 簡単にいうと、我「を」思うのか、我「が」思うのか分かんないということです。

「我のことを思う、ゆえに我はある」のか「我が『思う』という営為をする、ゆえに我はある」のかよく分からない。
「『おれ』ていうセルフイメージは誰だって持つんだから、要するにそれが『自分』があるってことなんだ」という意味なのか、「何かを思うというそれじたいがそいつがいるってことなんだ。だって誰かしらいないと『思う』なんて営為はありえないんだから」ていう意味なのか、日本語だとよく分からないわけです。
 じゃあどっちなのでしょう?
 原文の意味は周知の通り(だったそうですが、おれはこれ最近まで知りませんでした)、後者です。「思う」という営為/運動があるのだから、少なくともそこには「それを思う個体=自分が存在する」。
 けども、これってほんとにそうなのか? という考え方もできるわけです。難解なポストモダンの思想書の手を借りずとも。

「我思う ゆえに我あり」→「それって、我があるのは、我を思うからってことでしょうか、それとも、我が思うからってことでしょうか」

 そう問い直せば、「どっちも違うんじゃないか?」とは誰でも疑問に持ちましょう。我を思うとか、我が思うとか以前に、先行してある「我」というものがいる──というか、いてしまう、そういう実感が誰にもあるはずだからです。それが物理的にか、観念世界の現象なのかはともかく。

 *

 デカルトのこの言葉を、谷川俊太郎はこう言い換えたことがあります。

「我うんこす、ゆえに我あり」

「思う」「思索する」営為があるから、少なくともそこには「自分」というものがある。そういう考え方をしていいなら、「うんこする」営為があるから少なくとも「自分」というのがある、という考え方をしてもいいわけです。唯物的であれ唯心的であれ、「自分の便意は『我』に属しているとしかいえないもの」だからです。
 神様に思わされているのか、自分から思おうとして思っているのかは分からないけれど、「思う」ということじたいが「ある個体の実存を担保するもの」なら、「便意を感じてうんこしたいなあと感じてることも、その個体の実存を担保するもの」になるわけです。んで、実際にそこでうんこするのは、「その個体」以外の何ものでもないわけです。

 なので「思う/思わない」「思索を持つ/持たない」に拘わらず、「我」は「そんなことより先行してある」んです。だって「思う/考える」以前に、人はうんこしてきたからです。
 そういうことが、「言い方を逆にする」で分かっちゃうことがけっこうあるんですね。
「我思う ゆえに我あり」→「それって、我があるのは我が思うからだってことですよね。つまり「思う」をしないと我はないってことにもなっちゃうんですけど、それでいいんでしょうか? だって人には「思おうとして思うこと(=思索)」と「思うつもりはなかったけど思ってしまうこと(=便意)」ていう、大ざっぱにふたつの「思う」がありますよね。この言葉/認識って、このままでいいんですか?」

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」→「人に上下を与えなかったのが天だってことですよね、だとしたら、実際には上下があるのはなんででしょう? 人の世界は天の裁量の下にはないってことでしょうか?」とかね。「そういう風に人を造った天てのは、じゃあ誰なんでしょう?(四民平等を説くリクツに、なぜ「天」という「高位の概念/存在」が出てくるのでしょう? 「天」とは「自然」という意味でしょうか? だとしたら、人の世より自然の優位を福沢さんは言っているのでしょうか? 仮にそうだとして、なぜ自然は人の世より優位なのでしょう?)」、という風に。

 主語と述語を逆転させる、主部と述部をひっくり返す、つまり能動・受動を逆転させるとか、文や単語の意味を反対にすると分かるような、けっこう「もろいリクツ」て多いですよ。
 その応用が、つまりは前節の「9条」うんぬんのツッコミにできるという、そういう付け足しでした。




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