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表現てのはこういうもの 補注3 芸術と芸能の違いをもうひとつ [文化あれこれ]




●芸術と芸能の違いをもうひとつ

 本文では芸術と芸能の違いを話しました。「芸術は自己表現を目的にし、芸能はそれを前提にする」というやつですね。
 これとはべつに芸術と芸能の違いは(もっとたくさん)あるんですが、代表的なものをもうひとつ挙げます。何かというと、

・「何を表現するか」が芸術
・「どう表現するか」が芸能

 という違いです。

 芸術は、表現されているものそのものを問題にするジャンルです。例えばそれは、芸術家本人の思想であるとか哲学であるとか、斬新な表現方法そのもの(によって表現される「その芸術に対する本人の考えや思いや希望」であるとか、そういうものです。
 あるいは「人間とは何か」「神とは何か」「世界とは何か」、そういう究極的な問いに答えるものとして、作品をつくる。あるいは「戦後とは何か」「民主とは何か」「学生運動とはなんだったのか」「80年代の大量消費文化とは」「100年に一度の革命たるPC・ネット文化とは」など、歴史的な誰もの重大事に答えるものとして創作をする。
 大事なのは「そこでは何が表現されているのか」という、これが芸術なんですね。

 一方の芸能は、「何を表現するかはもう決まってる」ものなんです。一般論的に決まっている場合もあれば、創作者・表現者本人の中で決まっている場合もありますが、おおむねそれは「誰にでも受けとめられる、誰にでも=おれにも身に覚えのある、あれ」みたいなものです。つまりは一般的だし普遍的です。
 だから芸能は、メロドラマでも青春ドラマでも、戦争ドラマでも時代劇でも、家の中のゴタゴタでもミュージカルでも、ぜんぶがぜんぶ「焼き直し」です。もう100年前から同じ話ばかりしている、ものによっては300年前、1000年前から、内容じたいは何も変わっていない。それが芸能です。
 本文で引用した草野の『僕の天使マリ』にしろ、「大好きな女のコのことを想って、男のコが「恋しいよー」と言ってるだけ」の話で、みなさんご承知の通りこういう「歌」は万葉集の昔から定番です。かのシェークスピアの『ロミオとジュリエット』だってそうだと考えれば、万国共通なわけです。
 あまりに一般的/普遍的。何を話すかはもう決まってる。だから芸能は「じゃああとはどう話すか」の問題になるわけです。
「男のコと女のコが出会って恋をする。そういうのはよくある。みんなそうだ。だから、それじたいを話したって何も面白くないし、目新しくない。男女の恋を、これまでとは違う話し方で話せないものか。まだ誰も使っていない演出の仕方はないものか。万葉集やシェークスピアや近松の頃とは違う、今にちょうどいいメロドラマってどういうものだろう」
 これが芸能なんですね。
「『何を表現するか』はもう決まってる。じゃあそれを『どう表現するか』」

 だからそれはあくまで「技術」の問題になるし、つまりは「芸」の問題になるわけです。新しい表現方法を編み出してやる(例えば中島哲也のような)、それが芸だし、古い表現方法でもそれを極めれば今でも十分に通じる(例えば歌舞伎役者や落語家のそれ)、それもまた芸だというのは、こういうことなんですね。
 芸能というのは、どこまでも「技術」だし「技」だし、つまりは「芸」の世界なんです。思想や哲学や、難題への回答を差し出して「これはどうだ! これこそ問うべき『何か』ではないか!」みたいなものではない。
(cf. 橋本治『完本チャンバラ時代劇講座』。MGM「ザッツ・エンターテイメント」シリーズ、特にはF・シナトラやJ・ケリーなどのコメント)

 逆に言えば、芸術は「何か」を差し出してしまうゆえに技術は問われないジャンルだということですね。だからピカソへの無理解も起こるわけです。(ここらへんは今は置きますけれど)。

 *

「何を表現するか」
「どう表現するか」
 このふたつは、似ているようでぜんぜん違うものです。ほとんど水と油のような関係にすらなるようなものです。

 アマチュア表現者・創作者さんたちの作品は、でもおおむね「何を表現するか」を目的にしているのだったりします。
「これについてこう回答したものはまだないだろう」「自分だけの感傷かもしれないけど、自分にすれば言いたいのは『これ』なんだ」「ありがちな見聞だとは思うけど、これはやっぱり大事なことだからまんま通じるだろう」。
 おれが「アマチュア表現者・創作者の作品は芸術家的だ」と話すのは、そういうことなんだったりします。

 工夫というものをしていない。いやさ、本人にすれば凝っている、洗練させているのだとは思いますけど、でもそれは「本人にすれば」のレベルで終わってしまっている。
 芸能的な「芸の洗練」とは、「もうみんなが知ってるような技術じゃダメ。誰も知らない新しい表現方法を考えたり、誰でも知ってる古いものをきっちり極めるなりしないとダメ」というものなんですね。

 *

 厳しい話、続いてますが、立ち向かってくださいね。
 なんであなたの作品がウケないかといったら、「誰でも思うようなことを、微妙に個人的に話してるだけで、とくにどうというものでもないから」なんです。

「何を表現するか」ばかりで「どう表現するか」が圧倒的に足りない。それがたいていのアマチュア表現者・創作者さんの作品なんだったりします。
「これを言いたい」ばかりで、「言いたいそれをみんなに受け入れてもらえるようにするにはどうするか。どう表現すればいいのか」が無い。

 だから惜しいのは、一般よりよほど感受性が豊かでセンシティブで、社会の将来の文化的価値観を変えていっていいだろうアンテナと資質と体験を持っている人たちが、たかだか「自己表現が大事。何を話すかが大事」なんてものに足を取られて、発信すべき表現作品を発信できていないこと、なんです。

「今、何を話すかなんてもう決まってる」、そう思ってほしいですよね。
 だから「じゃあどう話せば通じるのか。ウケがいいのか。受け入れられるのか。浸透するのか」。
「何を」で目立つ必要はない。「どう」で目立ってほしい。




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