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表現てのはこういうもの 補注2 芸術家も職人 [文化あれこれ]




●芸術家も職人

「芸術家」と呼ばれる人たちがいます。彼らはえてして「自分の思想信条なり、自分の考えなり思いなりを原稿用紙やカンバスや五線紙にぶっつけている人たち」と思われがちです。つまり彼らがしているのは「自己表現」だと。

 これはある面で(またはある時代では)正しい見方ですが、もっと広い視野で見ると、実はぜんぜん違ったりします。
 かつての芸術家とは権力者の庇護の下で活動している人たちでした。モーツァアルトが宮廷音楽家だったのは有名ですが、誰だって似たようなものです。権力者(パトロン)がいて、音楽なり詩なり絵なりを創作していた。
 むろん、パトロンとは今でいうクライアントのことです。つまりは金を出す人=芸術家の生活を成り立たせてくれる人。

「こんど舞踏会をやることになったから曲を書け」と注文されて、それ用の曲を書いていたのがモーツァルトだってことですね。
「こんど新しくお城を作るから、そのふすま絵を描け」「こんど歌会をやるから、おまえもおれの伴として出席しろ」、そういうもんだったわけです。
 だからべつに、彼らは「自己表現」をしていたわけじゃないんです。「パトロン=クライアントの要望に応じて、その要望に相応しい作品を作っていた」。
 つまりは音楽職人だし絵描き職人だし和歌=詩の職人が(まずは)彼ら「芸術家」だったってことですね。

 余談ですが、こういうことが分かりづらいのは、現在の辞書とか人物辞典とか、その種の偉人伝や紹介文というのが基本的に、「民主的な観点から人物を紹介するもの」になっているからだったりします。
 そういうものはたいてい「その作品、人物像と創作の背景」みたいな紹介を中心にしている。「誰それにかこわれて生計を立てていた」みたいな紹介は必要最小限で、なにより「その芸術家個人、その作品の有り様、背景、つまりは個人としての自己表現の核」みたいな話し方になっている。
 べつにそれがいけないわけじゃありません。辞書や人物辞典だって「読者にウケなきゃ売れない」ものなんですから、「自己表現が大事」の世間ではどうしたって「モーツァルトの自己表現はこういうものだった」という紹介の仕方をするしかないわけです。


「自己表現」の到達点であるような「芸術家」だって、昔はみんな「職人」だったんです。
「こういう曲を作れ」といわれたら、その通りに作れる、それで生計を立てていた。「こういう料理を作れ」「家を建てたいんだけどこうしたい」「この服の寸を直したい」、そう注文される板前や大工や仕立屋と何も変わらなかった。

 そしてそれは、「芸術は自己表現」と呼ばれるようになった時代でも、実は同じだったりします。(ちがう人も多いですが)。

 そのような時代に、例えばピカソという画家がいました。おれは彼の『ゲルニカ』という絵がいまだによく分かりません。分からないというより、つまらないという感じです。何がいいたいのかよく分からないし、なんとなく分かるところも、「いうほどすごいことなのかな」という気がするからです。
 なんとなく「戦争への反意」を訴えた作品だとは分かるんですけど、たいしたことは訴えていない気がするし、つまり戦争の本質を表現できている気はしないし、ある種の庶民感情が表現されているのは分かるとしても、本人が芸術家だけにかえって庶民レベルの意識とはズレているような気がします。ましてやそれが「スペイン内戦に固有の」となると、ほとんど意味不明です。だってあたし日本人ですから。

 ただ、ピカソがものすごくデッサンが上手いことは知っています。そのデッサン力を下地に描かれた、ちょっとしたスケッチのようなものが、飛び抜けて上手く、面白く、本質的で適切な表現なのは知っています。(彼の「闘牛のエッチング」は素晴らしすぎます)。
 たぶんピカソは、「これを描け」といわれたらなんでも描けちゃう画家なんだろうなと、それで分かります。

 そんな風に、「自己表現する芸術家も、そもそもは『職人としての芸術家』の系譜を引き継いでいる」ものなんだったりします。

 *

 厳しく感じる人もいるでしょうけれど、ちゃんと逆転させるので(反転くらいはさせるので)、しばらく付き合ってくださいね。




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