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二章 実技編 5 [正しい本の読み方]




 5 初歩の五歩:対話的に読む 補1

①分かんない言葉はちゃんと調べる──気の合う辞書の選び方

 書いてあることをそのまま読むときに欠かせないのは、当たり前ですが「分かんない言葉はちゃんと調べる」です。だって分かんない部位があったら、「その本そのままの姿」が見えないわけですから。きちんと本をすっぱだかにする。
 なので、ともかくそういうときには知ってそうな誰かに聞く。お父さんでもお母さんでもお姉ちゃんでもお兄ちゃんでも利発な弟妹でもクラスの優等生でも、国語辞典でも漢和辞典でも『現代用語の基礎知識』でも誰でもいいから、ともかく聞いて「なるほど!」と分かってから先を進める。
 そういう相手が誰もいないときには、自力で考える。その言葉の前後関係(いわゆる文脈ってやつですね)から「たぶんこういう意味じゃないかなあ」と推理して、「とりあえず今はそれだってことにしておこう」と先を進める。(←この「とりあえず今はそれだってことにしておいた」記憶はちゃんと残すようにしましょうね)。
 ちなみにここらへんは逆でもいいです。自力で考えてから調べるでもいいし、あるていど読書に慣れたらそっちのほうがいいでしょうが、どっちにしろこれやんないとダメですね。「分かんないものを分かんないままほっとく」、これ最悪です。それやっていいのは、前後の文脈だけでほぼパーフェクトな推理をできるようになってからです。

 *

 分かんない言葉を知るときに、本好きでいちばん身近なのは辞書でしょう。中高生くらいなら先生に勧められたものや、有名なものでも十分ですが、もうオトナになろうかという時期になったら辞書くらい自分で選べないとダメです。
 さてその選定基準ですが、もうこの時期からは、

・自分と気が合うやつ

 にしましょう。
 赤瀬川原平『新解さんの謎』で一躍人々に知られることになりましたが、辞書にも個性はあります。「辞書なんてみんな似たようなもの(つうか似てなきゃそのほうが問題)」そう思われがちですが、なことはありません。件の新解さん(三省堂『新明解国語辞典』のこと)は飛び抜けて個性的な辞書ではありますが、新解さんに限らず、それぞれに個性があるのが辞書です。
 なので読み手(引き手、という表現になるのかな)との相性は当然あります。相性の悪い辞書だと、すぱっと意味が頭に入ってこない、ぐぐっとイメージが胸にわいてこない、そういうことになってしまう。
 じゃあその相性の合う合わないを知るにはどうするかですが、まず国語辞典の場合。これは単純に、辞書どうしで同じ単語(見出し語)を読み比べてみる。例えば、「飴」で読み比べてみましょう。

あめ【飴】
〔「甘し」の「あま」と同源〕
(1)芋・米などのデンプンを糖化させた甘い,粘り気のある食品。良質のものは淡黄色で透明。菓子の原料・調味料ともする。「―をなめる」
(2)「飴色」の略。

あめ【飴】
①澱粉または澱粉含有原料(糯米(もちごめ)・糯粟・粳米(うるちまい)・玉蜀黍(とうもろこし)・甘藷(かんしよ)など)を麦芽・酸で糖化させた、甘味のある粘質の食品。淡黄色で透明であるが、品質の低いものは黒褐色。また、砂糖を煮つめて製したものもいう。古く「糖」「…」とも書く。たがね。
②飴色の略。

 言ってることはだいたい同じですが(ま、辞書なんだから当然ですが)、前者のほうが簡潔で身近な印象があります。後者はより専門的で客観的な印象があります。前者が「芋・米など」で済ませている話題を、後者はより専門的に具体的に述べている。それから前者が「甘い、粘り気」と和語表現しているものを後者は「甘味のある粘質」と漢語表現していますよね。あと前者が話題にしていなものも、後者は話題にしている(最後のほうの話題ですね)。

 おでん【御田】
〔「でん」は「田楽(デンガク)」からという〕
(1)蒟蒻(コンニヤク)・里芋・大根・竹輪(チクワ)などを醤油味で煮込んだ料理。関東炊(ダ)き。関東煮。煮込みおでん。[季]冬。《人情のほろびし―煮えにけり/久保田万太郎》
(2)豆腐を串(クシ)にさして味噌をつけ,火であぶったもの。焼き田楽。また,蒟蒻・里芋などをゆで,串にさして味噌をつけたもの。[季]冬。

 おでん【御田】
(「でん」は田楽(でんがく)の略)
①田楽豆腐。
②(煮込田楽の略) 蒟蒻(こんにやく)・豆腐・里芋・はんぺん・つみれなどを醤油味で煮込んだ料理。関東焚き。関東煮。[季]冬。「―屋」

 これは説明の順番が違う例ですね。今現在、一般に「おでん」と思われているものを、前者は先に持ってきていて、後者はあとに持ってきている(前者の(二)は田楽豆腐のことです)。ちなみに「田楽豆腐」は「おでんの元になったもの」のようなので、後者はそういう歴史的経緯を重んじたということでしょう。現在形をとるか、歴史を重んじるか、こういう違いもあるわけです。

 それら違いが辞書の個性で、個性なんだから自分と合う合わないはあるわけですね。現在形のおでんのことを先に知って、それから関連するおでんの種類・歴史的なおでん理解に進みたい人もいれば、先におでんの原型を知ってから現在形のおでんの説明をされたほうが頭に入る人もいるわけです。
 今は食べ物を引き合いにしましたが、国語辞典の場合、自分がよく引く単語のジャンルで読み比べていけば、おのずと自分と気の合う辞書は見つかります。
(ちなみに、今の例での「前者」は大辞林、「後者」は広辞苑です)。

 次、漢和辞典。これに違いはあまりありません。というのは、漢和辞典を引くときは主にその漢字の読みを知りたいときだからです。ゆえにポイントになるのは「引きやすさ」になるわけですが、漢和辞典の引き方はどれも同じなので(部首から、画数から)大差ありません。
「読み」だけじゃなく「意味」「意味合い」、あとまあ漢字の場合は成り立ち語源も知りたいということもあるでしょうが、それらから相性を知りたい場合は、国語辞典と同じ方法をとれば大丈夫です。
 ちなみに、見出しになる正字の字体は辞書ごと(出版社ごと)に違うことがあるので、仕事で「正確な字体」を知りたい人は、自分が関わっているメディアやクライアントに合った漢和辞典が何かを先輩などに聞きましょう。

 次、英和辞典。の前に和英にしましょうか。
(ちなみにこの話、べつに「英」である必要はないし、「仏」でも「伊」でも「独」でも構いません。おれは「英」で話しますが、ここらへん、あなたが必要としてる外国語辞書に置き換えてもらっていいはずです)。
 ともあれ、国語辞典の場合、自分がよく引くジャンルに合わせてランダムに読み比べていけば、だいたい相性のよい辞書は見つかりますが、和英辞典の場合は一点突破的にやらないとハズします。どういう一点かというと、「日本に独特のニュアンスを持った日本語の読み比べ」というものです。
 日本語には、日本人にしか通じないような、独特のニュアンスを持った単語がたくさんあります(もちろんそれは外国人にとっての自国語はみんなそうでしょうが)。この「独特なニュアンスを持った日本語の単語」を目印にして、その単語にどういう英語を当てているかを読み比べる。
 ちなみに、おれが今使ってる和英を買ったとき、あてにした単語は「うち」でした。日本人の使う「うち」という言葉は実に独特な使われ方をする単語です。漢字で書けば「家」「内」ですが、「(自分の)会社」も日本人にすると「うち」になるので、単純にhome、house、insideじゃ足りないわけです。では「うちの会社」はmy officeかというと、これも違います。ここらへんのニュアンスをどこまで拾っているか、あるいは拾い方の傾向はどういうものか、そこらへんを基準にして判断するわけです。
 あとまあ、日本語にあって英語にはない単語を引いてみる、というのもありのはずです。べつに「醤油」とか「納豆」とか日本に独特の文化じゃなく(こういうのを引いてみてもたぶんイミありません)、どこにでもありそうな言葉なのに実は英語にはないものとか、そういうのですね。例えば「健常者」とか。

 英和はこれの逆パターンです。今さっきの例でいえば、homeやhouseを日本語に置き換えたとき、どれだけ日本的ニュアンスが削られるかをしっかり示しているもの。同時に、日本人が「うち」の意味でhomeを使いたいときの用例がちゃんと載ってるかどうか。
 それから、日本にはない価値観なり現象なりを示す単語を、どこまで日本人に(つまりあなたに)説明してくれるか、そこらへんも基準になりますわね。日本にはない価値観・現象とは例えば、stateとかloveとかpersonとかですね。

 余談ですが、和英と英和は一対と考えていたほうが英語の理解の役に立ちます。和英で調べて出てきた単語を、こんどは英和で引いてみる。そうすると、違う日本語が優先的に紹介されていることはよくあります。
 例えば「差別」を和英で引くとdistinctionが最初に出てきますが、これを英和で引くと最初に出てくる日本語は「区別」です。ゆえに、「自分では差別のつもりで使っているのに、相手(英語圏の人)にするとその話題は区別のことになっている、ということがありえるのだなあ」と分かるわけですね。

 *

 とまあそんな風にして、自分と気の合う辞書を見つける。
 とにかく辞書は「一発で意味が頭に入る、一発でイメージやニュアンスが胸に浮かぶ」、そういうもんじゃないと使い物になりません。本を読んでいて意味が分からないから辞書を引いたというのに、そこでも意味が分からないとか曖昧だとかなると、もう何がなんだか分かんなくなってしまいます。
 広辞苑が有名だからとか、先輩からリーダーズを勧められたからとか、そういう選び方は最悪です。見出し語の多い少ないもそんなに関係ありません。
 あと、新解さんみたいな独特すぎるのは避けたほうが無難です。確かに読み物としては面白いかも知れませんが、読み物(本)を読むために読み物(辞書)を読んでも意味がないわけです(ま、三島由紀夫も「辞書は引くものではなく読むものだ」とは言ってますが、これは「自分の知らない言葉に出合うために、辞書は辞書のみで読むべきだ」という意味合いのはずです)。
「一般的な意味合いをきっちり押さえて、なおかつ自分と気が合うやつ」、これを手元に置いておく。そうして読書のパートナーになってもらう。これが基本です。

 あとまあついでに、執筆や編集や校正など、言葉を扱う仕事をしている人、しようと思ってる人は、
・気が合うやつ
・これが標準とされてるやつ
 この2冊は持っておいたほうがいいですね。それぞれ2冊ずつが理想でしょうが、とりあえず国語辞典を2冊は必須です。あたしの場合、気が合うのは大辞林のご隠居、標準はもちろん広辞苑先生ですわね。

 もひとつついでに電子辞書について。一般的な電子辞書や、PC上などでビューアを通してみる電子版、これは使えます。けど、辞書サイトの辞書はあきまへん。目的の単語項目しか出てこないからです。
 紙の辞書が有用なのは、「その単語の前や後ろに、その単語によく似た単語が出ていること」です。「国」という単語のそばに「国争い」「国一揆」「国表」「国衆」みたいのがうじゃうじゃ出ている。「国」だけだとあまりに漠然としたイメージしか持てませんが、そのうじゃうじゃあたりも読んでみると、だいたい「国」という単語・漢字を日本人がどう使っているか/どう使ってきたか分かる。そういう効果も辞書にはあるわけですね。
 あとまあ、「国」とはぜんぜん関係ないけども、「くに【訓】」「くに【垢膩】」といった未知の単語につい目が吸い寄せられてしまうこともあります。そうして新しい言葉を覚えることもできるので、やっぱ辞書は見出し語がずらーっと続いてる紙や電子に限ります。辞書サイトはペケ。
 関連していうと、辞書の前後にくっついてる編集方針なり付録なりは、いちどは目を通しておくことを勧めます。そこらへんを一度も読んだことのない人は多いと思いますが、編集方針や「この辞書の引き方。文中の記号の意味」みたいな説明はさっきの「辞書の個性」の理解に繋がりますし、付録はその個性の延長上にあるもので、要は個性の具体的な表現なんだったりします。そういう意味ではやっぱり大事なのは紙の辞書でしょうね。電子辞書はその「前後の付属ページ」を見るのには不向きですから(読めなくはないけど、ある単語を調べているときに「この辞書の引き方。それぞれの記号の意味」を知りたくなって巻頭に戻る、みたいなことができないという)。

 *

 ともあれ最初に戻って、大事なのは、辞書は「書いてあることをそのまま読む=本をすっぱだかにする」ため必要不可欠なものだというそこです。これなくしては読書が成り立たない最重要パートナーというのは胸に刻んでおきましょう。それほど読書には必要な道具です。そうです、道具です。しょせん。
 あくまで辞書は「本をすっぱだかにするための道具」なだけで、そちらに重きを置くようなものではありません。三島のように「辞書は読むものだ」とまで思う必要はない。
 ないけど、読んじゃったら読んじゃったでおーけーというか、つまり「脱線」も読書ではしていいわけで、そういうとき、「実に有意義な脱線」になるのも辞書の魅力だという、これはこれでありましょう。
 そこいらへんの配分が難しいんですけどね。でもこの「難しい」はけっこう楽しい難しいですね。
「書いてあることをそのまま読む」とは最終的に、すっぱだかになった相手=本と愛しあうようなものですが、その傍らに仲人さんのようなアドバイザーがいてくれるととても助かるという、辞書ってのはそういうもんです。辞書と仲よくしてると、素敵な本に出会えたり、本の素敵なとこを教えてもらえたり、まったくその通りにありますな。




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