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二章 実技編 2 [正しい本の読み方]




 2 初歩の二歩:対話的に読む1

 本はモノローグ的だと思われがちです。こういう言い方をすれば本は、「書き手が言いたいことを一方的に述べてくるもの」だからです。それは書き手のモノローグだという見方はできます。語り口がどういうものであっても。
 読み手もまた、本に対して独り言しか持つことは出来ません。紙に印刷された本は、もう形を変えることはありません。読み手が何をどう思ったにしても、それに合わせて変化してくれることはない。だから読み手の感想はモノローグになるほかない。
 書き手にしたって同じです。どんな感想を持たれたにしろ、それに合わせて先の話を変えることはもう出来ない。だから「一方的に述べるだけ」にしかしようがない。
 本とはつまり、「一方通行が二本ある状況」の上に成り立っているのかも知れません。

 むしろ客観的事実としてはそういうものでしかありませんが、読書はダイアローグ的に行うことができます。また、そうすべきものです。
 本に限らず、映画でも音楽でも演劇でもマンガでもゲームでも、絵画でも彫刻でも、芸能なり芸術なりを正しく鑑賞するとき、この「対話的な鑑賞」が必要です。そうでなければ、作品を理解することが出来ないからです。

 *

 書き手の意図どおりに読むのが読書だと、これまで話してきました。ゆえに書き手の意図が何かを考え、想像することが必要だと。読書で必要なのはなによりこの「想像力」だという話をこのまえしましたが、ではこの想像力を鍛えるにはどうするかというと、コミュニケーションの力をつけることです。
 ただそれは、社交性/社交術を身につけろとか、そういう意味じゃないので、人付き合いが苦手とか、おれはオタなんだよなあとか、そういう人も安心してください。というより実際、社交性だの社交術だのを覚えるのはむしろ、人からコミュニケーションの力を奪うことになるし、想像力のない人間を育てるだけだったりするので、そんなもんに付き合う必要はかけらもありません。
 読書に必要なコミュニケーションの力をつけるとは要は、「書き手と話をするにように、本の内容を理解していく。おしゃべりするように了解しあっていく」──そういう読み方を通して本や作者とのコミュニケーションの力をつけていく、というものです。
 というわけで、具体的な実技にまいりましょう。そのコミュニケーションの基本です。


 例えば試しに、本を読んでいて分からない箇所があったら「よく分かんないんですけどー」と言ってみてください。べつに声に出す必要はありませんが、ともかく分かんなかったら「分かんないんですけどー」と頭の中でいってみる。
 ここでの注意は、「よく分からないなあ…」じゃダメってことです。これだとモノローグになっちゃうからですね。ここはばしっとダイアローグ体で「分からないんですけど」と問いかけてみる。
 それからはっきり発音しないとダメです、頭の中でも。「(なんかよくわかんないんですけど?)」みたいな話し方もやっぱモノローグ体の亜流です。作者が目の前にいると思って「よく分かんないんですけど、これってどういうことでしょうか?」とはっきり発音する。実際に相手に問いかける声量で。
 言い換えれば、「自分はここでこういうことを作者さんに聞いた(なのでその答えを待っているのが自分だ)」と記憶に残る聞き方をしないとダメだってことですね。一人称小説の主人公みたく、「私はここで、『よく分かんないんですけどー』と作者に聞いた」と書けるくらい、ちゃんと言う。てかもう本に書いちゃっていいです。

 ま、こういうことをするのを嫌う人も多いとは思いますが、本の余白にはどんどんメモを入れましょう。おれが持ってる本なんかみんなメモだらけです。読書のときにはシャーペンかボールペンが無いと落ち着きません。そこらへんのメモの仕方もそのうち教えますが、本をきれいにしておきたい人は記憶力を鍛えてください。それがイヤならもう書いちゃいます。最初は抵抗があるかも知れませんが、やってるうちに慣れます。
 それから「私は図書館で本を借りることが多いから、メモなんか出来ない」という人。ま、経済的に難しい場合は仕方ありませんが、本はなるべく自分で買って、自分のものとして手元に置いておきましょう。灰谷健次郎さんはこういう言い方をしています。「家は借りて住め、本は買って読め」。本から得たいものがあるなら、本は自分のものにしといたほうがいいし、つまり自分の思い通りの使い方ができる相手にしておくべきです。

 話を戻して、記憶力に自信のない人は「よく分かんないんですけどー」をもう本に書いちゃう。「これこれこういう意味ですか? それともああいう意味ですか?」まで書けちゃうなら上出来です。
 ちなみに、メモのよさとは、「書く」という行為によって視覚的かつ体験的に記憶に残すことができる、点です。単に頭の中の音声として「よく分かんないですけどー」があるのと、実際に手先を動かして書いてみて「ここが分からない」と意識するのとではぜんぜん違います。そっちのほうがばしっと記憶に残りやすいし、ほとんどメモなんて必要ないくらいしっかり覚えられる効果もありますな(それじゃメモの意味ないじゃんか…、ですが、本来の目的は達成できてんだからいいんです)。

 *

 本を読むというのは、疑問につぐ疑問を持つということでもあります。そもそも、最初にページを開くときには、「この本はどういう内容なんだろう? どんな物語になっている小説なんだろう?(わくわく)」がまずあります。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」、と一行目に書いてあったら、「この猫が何をするんだろう?」「なんで名前が無いんだろう?」「この一行目はどういう意味なんだろう? ここからどういう話が始まるんだろう?」、そういう疑問を次々に持ちながら(そしてその疑問=「答えを知りたい!」という欲求をエンジンにしながら)読書は進むものです。
 なので、
「これってどういうことだろう? こういうことだろうか?」
「こう読んでいいんだろうか? 作者さんはこう思って書いてるんだろうか?」
「こう読んだけど、あってんのか?」
 ばっかりなのが実は読書でもあるわけです。ゆえに対話的な読書のまず最初は、「疑問を感じたときに、実際に作者に聞く」になるわけですね。

「よく分かんないんですけどー」

「これってどういうことでしょう? こういうことでしょうか?」
「こう読んでいいんでしょうか? 作者さんはこう思って書いたのですか?」
「こう読みましたけど、これであってますか?」
 そういう風にダイアローグ体にして、直接聞いていく。「こういうことなのかなあ」のモノローグじゃダメ。「(こういうことなんですか?)」「(なんかよく分かんないんですけど? www)」みたいのもダメ。はっきり書き手に聞く。そういう疑問の持ち方をする。


 そうすると、ここが肝腎なんですが、ちゃんとできた本ならそのうち、「それってこういうことなんですよ」と教えてくれます。これはぜったいそうです。
 本を読みながら、作者はこういうことを考えてるんじゃないか? と思ったら「これであってます?」と聞く。そうするとたいてい「そうです/ちがいます」と答えてくれます。これもちゃんとできてる本なら、ぜったい。


 よほどあなたの疑問が的外れじゃない限り、本は必ずこたえてくれます。これが「本」との対話です。コミュニケーション、その基本。

 ちなみに余計な話ですが、今おれが話しているのは「正しい『本の読み方』」ですが、これは「『正しい本』の読み方」と受けとってもらってもぜんぜん構いません。
「正しい本の見分け方」といったほうが分かると思いますが、やっぱり世間には、「きちんと作られている本」と「そうじゃない本」があるんです。でもって、その「きちんと作られてる本=正しい本」をどうやって見分けるかというと、「よく分かんないんですけどー」「これであってます?」と聞いて、正解を教えてくれるのが「きちんと作られている本」です。
 ただしここには、「よく分からないんですけど、これって分からないのであってますか?」と聞いて「そこは分からなくていいんです。正解です」「じゃあ分かってください。こっから先はあなたの問題なんです。あなたが自分で考えて正解を出す。だからあなたに正解がまだないなら、その『分からない』はあってます。正解です」という、ちょっとレベルの上がった問答も含まれますけどもね。
 いずれにしろ、「分かんないんですけどー」と聞いても正解を教えてくれない、何もこたえてくれない、そういうのは「正しくない本=ちゃんと作ってない本」なんです。べつに「まちがった本」とまではいわないですけどね。ていうか、まちがった本というのは世の中にはないでしょうが。

 *

 本はもう活字になって動かない表現です。なので、そんなもんとどうやっておしゃべりするんだと最初は思うでしょう。対話的な読書の初心者のうちは、的外れな疑問を持つことも多いし、数ある本の中には、残念にもちゃんと作ってない本だってあるからです。
 それでも対話を心がけて、ダイアローグ体で本に問いかけていれば、そう間を置かず「なるほど対話的だ」と実感できるようになります。
 そして話したように、そんな対話的な関係をもつべきは本に限りません。文化を鑑賞する――平たくいえば楽しむとは、一方的に送り手の表現を受け入れることではないし、一方通行が二本あるようなものでもありません。文化をほんとうに楽しむとは、対話的な関係をもてるようになったところから始まります。そこからほんとの交流が始まるし、ほんとの文化の享受が始まる。
 だから、現実の人間関係と同じように、分からないことがあったらどんどん聞いて、相手への理解を深めていくのが大事なんですね。「文は人なり」てやつです。

(ちなみにその点で本のいいところは、あれこれどんどん聞いても「イヤな顔をされない」とこですわね。相手が人の場合と違って。「なにこいつバカじゃないの?」みたいな反応はぜったい返ってこない。ゆえに(周りには誰もいないのに、こっそり)見栄を張る必要もない。だから安心して、どんどん(アホな)疑問をぶつけましょう。「こんな疑問を持っちゃう自分は恥ずかしいかもなあ」なんて思う必要はぜんぜん無いんです。どこかの文学理論や現国で教わった本の読み方──つまり「本との社交術」を覚えて相手を分かった気になっているうちは、本とのコミュニケーションはできません。読書というのは、本と読み手の一対一の関係構築だし、その一対一を通して書き手/作品を理解するという限定的な営為なんですね。大事なのは、「その本なり作者なりを理解するために、自分自身が何に/どこに疑問を持ったか?」なんです──だからそのためにも記憶/メモを残しましょう)。




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